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大井の大佛[品川区]


東海道新幹線が東京駅を発車して10分程で、右の車窓から町並をへだてた緑の丘の上に、赤いお堂が望まれます。このお堂が養玉院の如来堂で、古くから芝高輪の大佛として知られた五智如来が安置されていて、今は大井の大佛(おおぼとけ)と呼ばれております。

広いお堂の正面には、丈六(坐像ですが、お立ちになれば、16尺-約485 メートル)の五体の如来像が、横一列に安置されております。五智如来とは、大日如来を中尊とする五体の如来を総称した呼び名で、向って左から北方世界の釈迦如来、西方世界の阿弥陀如来、中央の大日如来の右隣が南方世界の宝生如来、そして右端に東方世界の薬師如来が並んでおられます。厳かな尊容のうちに限りない慈悲の念を籠められて、詣でる人びとをお迎えくださるように感じられます。

五智とは五種の仏智ということで、深遠な密教教理に基づくものですが、江戸時代になりますと、広大無辺の仏智にすがり、さまざまの苦難から逃れようとする願望が、深い民間信仰となって世に広まりました。大日如来には万物を慈しむ太陽の功徳、薬師如来には医薬の功徳、宝生如来には福徳財宝・五穀豊穣の功徳、そして阿弥陀如来には往生極楽の功徳というように現世利益を願う信仰が強くなりました。これら諸仏に対する渇仰と五体満足を願う深い信仰が、都市から次第に農村へと広まっていったのであります。

如来寺は寛永年間(1624-44)に木喰但唱が、芝高輪に創立した寺で、但唱の発起によって造立された五智如来が安置されているところから、俗に高輪の大佛と呼ばれ、明治41年(1908)に現在地に移転しました。大檀越に大和高取藩主植村侯があり、歴代の墓域があります。

養玉院は寛永12年(1635)に創立された、上野寛永寺の塔頭三明院がその前身で、開山として天海を迎えていますが、寺を創立したのは天海の弟子賢海、二代目は賢海の弟子念海であります。元禄11年(1698)に下谷坂本に移って養玉院と改め、この頃対馬の領主宗家の菩提寺となりました。

大正12年(1923)如来寺と合併して、現在の場所に移りました。

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